前回のブログで「酒屋日記 ことばは難しい」を綴りました。それ以前にも「夜更けの街角で」、「居酒屋日記 祖谷のかずら橋」、「小松島って・・・」を綴りました。
何れも小さな居酒屋が舞台です。そこに集う心優しい人々とのたわいない会話や出来事を書きました。
ある日の事です。決まったように居酒屋”もみじ”の暖簾をくぐりました。既に、デイビッドは連れの女性とカウンターに座って飲んでいました。女性は”アキちゃん”といいます。その横に馴染みの初老の女性も座っていました。
デイビッドは、前述したようにカナダ生まれの外人さん。彼と何時ものように大袈裟なジェスターで握手と抱擁です。彼と私の出会いの挨拶、儀式のようなものです。
初老の女性は、自分の事を”おっかあ”と言います。ですから、馴染みのお客さんも”おっかあ”と呼びます。大阪弁で「お母さん」です。一寸下品に聞こえるかもしれませんが、親しみのあることばです。
私は、”おっかあ”の横に座り焼酎を注文しました。”おっかあ”は何時も一人で遣って来て、日本酒の冷酒です。今日はかなり飲んでいるのでしょう。呂律が回りません。
”おっかあ”は私の事を”にいちゃん”と呼びます。そして
「にいちゃん、元気か」と何時も声をかけてくれます。雄弁な方ではありません。どちらかと言うと朴訥で寡黙な方です。
私が”をおっかあ”を挟んでデイビッドやアキちゃんと会話に盛り上がっていると”おっかあ”は何やらブツブツと独り言を言い出しました。デイビッドは、何故”おっかあ”が怒り出したのかと、頭の両側に両手の指を立てて鬼のジェチャーをしながら私に答えを求めました。
そのうち、”おっかあ”は「帰る」と言い出しました。アキちゃんが送って行く事になりました。
暫くすると、アキちゃんが血相を変えて戻って来ました。
「デイビッドを呼んで、”おっかあ”が・・・」
みんなで飛び出しました。デイビッドは早足で走ります。”おっかあ”が路上に倒れていました。
デイビッドは”おっかあ”を起こすと軽々と抱き上げ、”もみじ”に連れて帰りました。みんなで椅子を並べて寝かせました。デイビッドは心配そうに”おっかあ”を覗き込んでいます。そわそわしています。しかし、女将さんも馴染み客も意外と冷静です。
デイビッドは、異国の地に来て、遥か彼方の母国に残してきたお母さんのことを思い出したのでしょうか。
暫くすると、
「水や、水や、水欲し~い」
と”おっかあ”の声がしました。上半身を起こして呼んでいます。
「”おっかあ”が息を吹き返したんや」
と馴染み客のケンさんが言いました。拍手が起こりました。「乾杯や」、と誰かが言いました。
「”おっかあ”幸せやな、デイビッドに抱きかかえられて、今夜はシンデレラガールや」
とアキちゃん。
「”おっかん”、死なへんで良かったなあ」
と、今度はお女将さんが明るい調子で言いました。
次の日、私は暖簾が出るなり”もみじ”に行きました。
「軽い脳震盪を起こしたみたい。”おっかあ”がね、[外人さんに迷惑かけてしもた、 外国の方に恥を晒して恥ずかしい話や、情けない]と言うのよ。デイビッドにプレゼントしたいからと、この瓶を持って来て、今、帰ったばかりなのよ」
女将さんはしみじみした口調で言いました。
デイビッドとアキちゃんは、今夜来るのだろうか?”おっかあ”は今、どうしているのだろう?と思いながら、この日は早く切り上げて仕事場に帰りました。
梅雨の合間に晴れた快晴の日のことです。夜の帳に囲まれた街のそよ風が私の頬を爽やかに撫でました。
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