帰属意識の表出としてのシンボル性

快晴の今日は早朝からテニスの打音が伝わってきます。そして、それ以上にブラスバンドによる応援歌の音色が大きく響いてきます。声援もです。

今日は学生たちのテニス試合の様です。大学のテニスクラブ同士の試合なのでしょう。今まで早朝から夕方まで練習をしていたのは、そのためだったのでしょう。

テニスコートのフェンスに何種類かの旗が掲げられています。それぞれのクラブの旗です。

私たちは何処かの社会に帰属したい、帰属している事を意識したいと言う想いがあります。

応援歌やクラブの旗はその表出としてのシンボルです。校歌、校章もそうです。卒業式や同窓会で仲間と校歌を歌う時、自己を再認識するのはその様な作用によるものだと考えます。

小さな帰属社会ですが、例えば、それぞれの家には家紋や仕来り、学校には校歌や校章、会社には社歌や社旗、名刺などがあります。もう少し大きく捉えれば自治会の旗、更には地域社会での祭り、祭りの様々な法被やだんじり、祭礼を彩る様々なグラフィックなどがあります。更に大きくでは国旗や国歌などです。

人間関係が希薄となり、コミュニケーションが成立し難くなった今日、想像を絶する残忍な事件や組織の不祥事が起きています。人として守るべきマナーも欠落しています。このような時、帰属意識を深め、その表出としてのシンボルの意味を考えてみるのも大切な事でしょう。

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可愛い 可愛そう 許してください

産経新聞7月5日朝刊に 「ペット店でもらったけど すごい食欲 飼う自信ない」 の見出しで記事がありました。

以下に新聞の記事を要約します。

ペットショップから譲り受けたブタを公園に捨てたとして、大阪府警曽根崎所は4日、動物愛護保護法違反容疑で男性会社員(29)を書類送検した。

会社員は、以前から通っていたペットショップで売れ残っていたブタ(雄ブタ 体調80cm)をペット用に譲り受けた。そして、自宅まで台車に載せて運ぼうとしたものの、疲れて立ち寄った公園にブタを放置した。

会社員は、

「可愛くて家で飼おうと思ったが、公園で草を食べるのを見ているとすごい食欲で、飼う自信が無くなった」

と供述している。

同署は、ブタの引き取り先を探している。.

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呆れた話です。”犬が○○すればニュースになる”と言う諺がありますが、”ブタが捨てられればニュースになる”です。”ブタも誉めれば木に登る”どころではありません。

新聞を読んでいて、一寸可笑しく、そして哀しくなりました。この青年がブタを台車の載せて運んでいる姿や公園での困惑した表情が浮かんで来ました。映画の1シーンの様です。

動物好きな心優しい青年なのでしょう。でも、行動が短絡的過ぎます。公園に捨てるのだったらペットショップに返せば良かったのに。

それに、家で簡単にブタを飼えると思ったのでしょう。 ブタは可愛いです。でも臭くて餌を沢山食べます。すぐに大きくなります。手に負えなくなります。青年に簡単にブタを譲ったペットショップも短絡的です。ブタを飼うことの困難さを青年に確りと説明したのでしょうか。

この様な事を綴っていると、私の娘が幼い頃を思い出しました。確か、幼稚園に入った頃の事です。

娘と近くの牧場に行きました。「牛を見たことが無い」と言うので、見せてやろうと思い、家族で牧場に出かけたのです。生まれたばかりの子牛が母牛と草を食べていました。娘は言いました。

「可愛いね、牛って、お父さん。でも人間は牛を殺して食べるんだから、牛さん可愛そう」

ある農耕民族、確か、日本人のルーツである農耕民族の人々の話だったと思いますが、文化人類学の雑誌に記事が載っていたと記憶していますので要約して紹介します。

家畜として飼育している牛が年を取り使えなくなった時、屠殺します。屠殺にはその役の持ち回りのルールがあって、役が回ってきた人は大変苦しみ、長い期間祈りを続けます。いよいよ牛との最後の別れです。牛は屠殺される事を感じ涙を流します。屠殺場に集まった人々は牛に感謝を込めて最後の食事をたらふく与えます。

「牛さん、どうか許して下さい、どうか私たちの勝手を許してください」

そう言いながら皆でひれ伏し、地面に頭をこすり付けて牛に詫びます。屠殺はその様な厳粛な儀式の基に行われます。

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新聞記事から 「心のあり方」

毎日新聞7月3日朝刊によりますと、

昨日の午後0時15分ごろ、福岡市天神で、14階建ての12回の庇に女性が座っているのが発見されたそうです。

消防署がはしご車を出し、30分後に救出。女性は38歳とのことです。

「みんな心配している」と消防署員。

「私のことなんか誰も心配してない」

やっとの事で女性のベルトを掴み、署員は命綱で女性とつないだそうです。

「あなたが落ちれば私も落ちる」

署員のこのことばに女性は観念したのか、じたばたしなくなり、無事に救出されたそうです。

人騒がせな事件です。女性は寂しかったのでしょう。哀しい事件です。

以前、私のブログに綴った茨城県の北浦中学校教諭小島秀和容疑者も、大阪駅通り魔事件の大山和歌容疑者も、この事件の女性も同じ38歳です。

そういえば、昨日の読売新聞は、「部活の女生徒にわいせつな行為 中学校教諭を懲戒免職」と報じていました。熊本市立中学校のこの男性教諭は35歳です。

30歳代の男女に何が起きているのでしょうか。

今の30歳代は病んでいるのか、狂っているのか? どの様な教育と躾を家庭と学校で受けてきたのか? 何を学んできたのか?と私は再び言いたくなるのです。

再度、読売新聞の記事です。

「想像を絶する残忍な事件、組織の不祥事、人として守るべきマナーの欠落。私たち日本人が本来持っていたはずの素晴らしい倫理観はどこへ行ってしまったのでしょうか」 各界の有識者16人が「日本人の心のあり方」を考える「心を育む総合フォーラム」(座長=山折哲雄・国際日本文化研究センター名誉教授)が、昨年1月にまとめた提言書に基づいていよいよ全国運動を展開することになった。

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パラダイムシフトが・・・

反重力理論。これを基に反重力装置が造れるそうです。名前は”Galaxy Flying  Machine ”。限りなくアダムスキー型UFOに似て、宇宙空間の果てまで翔け巡ることが出来るそうです。

人類が今もっている最高のテクノロジーはロケット技術です。大量の燃料を消費し、燃料タンクを幾つも捨てながら成層圏の外に出ます。でも、そこはまだ地球の重力圏内ですから、グルグルと地球を回って遠心力とのつりあいでやっと無重力になります。

夢物語かもしれませんが、”Galaxy Flying  Machine”が登場すれば、楽しいです。夢物語ではないかも知れません。

昨日、ある事に関する夢のMachineの話を聞いてきました。これは、夢ではなく、今、実在しますので、見せてもらいました。最新のナノテクノロジーによるキャパシタです。1万ファラッドだそうです。これでも凄いのですが、近々、100万ファラッドのものが出るそうです。

こうなると、環境やエネルギーのあり様が一変します。パラダイムの転換です。私の頭が混乱してきました。爆発しそうです。

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居酒屋日記「一冊の本」

重くて哀しい話ですので、書こうかどうかを迷っています。が、書きます。

このような時、ことばがある事、それを使って文章を書く事を、本当は辛く思います。

居酒屋”もみじ”は心優しい人々の集まりの場です。女将さんが一冊の本を私にこっそりと手渡してくれました。

「好かったら、読んでみて」

本の題名は「知覧特別攻撃隊」。サブタイトルとして、写真・遺書・日記・手紙・記録・名簿と記されています。編:村永薫、推薦:鹿児島県図書館協会・鹿児島県学校図書館協議会とあります。

特攻隊の事は従軍体験のある亡父からも聞いていましたので、少しは知っていました。膨大な関連図書を読んでいた父の面影が浮かびますが、敢えて戦争の事は自ら 口にしませんでした。心の傷が深かったのでしょう。息子の私にはそれを知られたくなかったのでしょう。

本の冒頭、はじめに を紹介します。

薩摩半島の知覧に陸軍の特攻基地がありました。

いま基地跡の東隅に、慰霊の特攻平和観音堂があり、特攻銅像がたち、さらに勇士の遺品を永久に保存するために、知覧特攻平和会館が建立されています。そして千三十六柱の御霊のために、千三十六基の石灯篭の建立事業が進められています。

平和会館の入館者は一日千人をこえています。観光気分で入館した皆さんが、出撃前夜の手紙や日記、遺言や辞世の歌を詠むうちに目頭があつくなり、すすり泣く人もあり、可愛相にというこえも聞かれ、そして涙にむせんで館を後にします。平和会館は涙の出る館であり、涙をさそう館です。

基地の近くに住む私は、もう何十回となく足をはこび、そのたびに涙があふれてなりません。(後略)

                                                村永 薫

読んでいると、私も止めなく涙が流れます。一気に最後まで読み切る事ができません。それで、神坂次郎さんの著書・「特攻隊員の命の声が聞こえる」を買って来て交互に読んでいます。

自分の命と引き換えに、祖国を守ろうと敵艦に体当たり突撃をして散って行った二十歳前後の若者たち。戦争と言う絶望的な境涯の中で、命の尊厳を見事に結晶させた特攻隊員の日記や手紙、遺書は重くて哀しいです。心が震えます。

色々綴りたい事がありますが、今日は止めます。

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居酒屋日記 「心優しい人々」

前回のブログで「酒屋日記 ことばは難しい」を綴りました。それ以前にも「夜更けの街角で」、「居酒屋日記 祖谷のかずら橋」、「小松島って・・・」を綴りました。

何れも小さな居酒屋が舞台です。そこに集う心優しい人々とのたわいない会話や出来事を書きました。

ある日の事です。決まったように居酒屋”もみじ”の暖簾をくぐりました。既に、デイビッドは連れの女性とカウンターに座って飲んでいました。女性は”アキちゃん”といいます。その横に馴染みの初老の女性も座っていました。

デイビッドは、前述したようにカナダ生まれの外人さん。彼と何時ものように大袈裟なジェスターで握手と抱擁です。彼と私の出会いの挨拶、儀式のようなものです。

初老の女性は、自分の事を”おっかあ”と言います。ですから、馴染みのお客さんも”おっかあ”と呼びます。大阪弁で「お母さん」です。一寸下品に聞こえるかもしれませんが、親しみのあることばです。

私は、”おっかあ”の横に座り焼酎を注文しました。”おっかあ”は何時も一人で遣って来て、日本酒の冷酒です。今日はかなり飲んでいるのでしょう。呂律が回りません。

”おっかあ”は私の事を”にいちゃん”と呼びます。そして

「にいちゃん、元気か」と何時も声をかけてくれます。雄弁な方ではありません。どちらかと言うと朴訥で寡黙な方です。

私が”をおっかあ”を挟んでデイビッドやアキちゃんと会話に盛り上がっていると”おっかあ”は何やらブツブツと独り言を言い出しました。デイビッドは、何故”おっかあ”が怒り出したのかと、頭の両側に両手の指を立てて鬼のジェチャーをしながら私に答えを求めました。

そのうち、”おっかあ”は「帰る」と言い出しました。アキちゃんが送って行く事になりました。

暫くすると、アキちゃんが血相を変えて戻って来ました。

「デイビッドを呼んで、”おっかあ”が・・・」

みんなで飛び出しました。デイビッドは早足で走ります。”おっかあ”が路上に倒れていました。

デイビッドは”おっかあ”を起こすと軽々と抱き上げ、”もみじ”に連れて帰りました。みんなで椅子を並べて寝かせました。デイビッドは心配そうに”おっかあ”を覗き込んでいます。そわそわしています。しかし、女将さんも馴染み客も意外と冷静です。

デイビッドは、異国の地に来て、遥か彼方の母国に残してきたお母さんのことを思い出したのでしょうか。

暫くすると、

「水や、水や、水欲し~い」

と”おっかあ”の声がしました。上半身を起こして呼んでいます。

「”おっかあ”が息を吹き返したんや」

と馴染み客のケンさんが言いました。拍手が起こりました。「乾杯や」、と誰かが言いました。

「”おっかあ”幸せやな、デイビッドに抱きかかえられて、今夜はシンデレラガールや」

とアキちゃん。

「”おっかん”、死なへんで良かったなあ」

と、今度はお女将さんが明るい調子で言いました。

次の日、私は暖簾が出るなり”もみじ”に行きました。

「軽い脳震盪を起こしたみたい。”おっかあ”がね、[外人さんに迷惑かけてしもた、 外国の方に恥を晒して恥ずかしい話や、情けない]と言うのよ。デイビッドにプレゼントしたいからと、この瓶を持って来て、今、帰ったばかりなのよ」

女将さんはしみじみした口調で言いました。

デイビッドとアキちゃんは、今夜来るのだろうか?”おっかあ”は今、どうしているのだろう?と思いながら、この日は早く切り上げて仕事場に帰りました。

梅雨の合間に晴れた快晴の日のことです。夜の帳に囲まれた街のそよ風が私の頬を爽やかに撫でました。

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居酒屋日記「ことばは難しい」

久々に”もみじ”へ。馴染みの居酒屋です。

何時も夕方の5時きっかりに暖簾が出ます。

夜の10時過ぎのことです。暖簾をくぐるなり、

「帰ったわよ、デイビッド、つい先ほど。待っていたのに」と女将さん。

「そう、残念やな、今日来るって聞いてたから」

「どうしたのよ、辞典なんか持って、2冊も。英語の勉強?」

「だって、英和辞典を持ってただろ、デイビッドは何時も。彼とコミュニケーションするには、僕にも必要だと思ってね」

デイビッドとはカナダ生まれの外人さん。40歳位のハンサムボーイです。この辺りでは、一寸した人気者だとか。日本語はかなり上手です。が、一寸したニュアンスを理解するには、英和辞典が必要らしい。何時もペラペラと捲っています。そして、必ず、

「スミマセン、カミ ト エンピツ、オネガイシマス」

デイビッドに尋ねたことがあります。「恋人は英語でLoverだろ?」って。違うそうです。恋人は「Sweet」だと。愛人は「Lover」だそうです。

”もみじ”で彼に2,3回出会っているのですが、てっきり牧師さんだと思っていました。何時も手にしている分厚い書物が聖書に見えたから。何時もそれをペラペラと捲るのは信仰深い牧師さんだと思ったから。それにしても明るくて愉快な牧師さんだ、綺麗な女性を伴って居酒屋をハシゴとは、と思っていました。

ある時、女将さんに尋ねてみました。

「最近、牧師さんは来てる?」

「・・・・・・・・・」

「あのさあ、何時も、聖書を持っている外人さん、彼のことだよ」

「牧師さん?えっ、牧師さんと思ってたの、あ~ら可笑しい、ハハハハハ~。デイビッドよ、彼は、カナダ生まれのエンジニアよ」

その後、デイビッドと仲良しになりました。私を見つけると、大げさなジェスチャーで私を抱擁します。大柄な彼と小柄な私のそれは、”もみじ”のお客さんを楽しませるようです。

カウンターの上に2冊の辞典を置き、その様なことを思い出しながら焼酎を飲んでいると、

「ほう、クラウンですか、三省堂の。それに、旺文社の国語辞典じゃありませんか。懐かしいですなあ、随分使い込んでいますね」

だれかと思ったら、隣の角に座っていた初老のお客さん。見覚えがあります。

「あっ、先日はどうも。小松島のことでは失礼しました」と私。

「どれどれ、ほうほう、結構書き込んでますな、このクラウン。勉強熱心だったのでしょ」

と言いながら、勝手に手に取り眼鏡を上下させながらページを捲っています。

「いやいや、苦手でね、英語は。高校から使っている辞典ですが・・・」

「書き込みが多いわね、こちらにも。女性の名前ばかりだわ。勉強してたの、本当に?遊子(ゆうこ)とか案山子(あんやまこ)とか書いてあるじゃない?流石に今田勇子は無いけど」

と今度は国語辞典を広げた女将さん。

「遊ぶ子って書いて、遊子(ユウシ)って読むんですよ。案山子(あんやまこ)と書いてカガシ」

たわいない話で盛り上がりました。だんだんと酔いが回って来ました。デイビットに会ったら連れの女性のことを聞いてみようと思いました。

「Sweet or Lover ?」 と。ガールフレンドのニュアンスに近い英語ってなにって。

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このような凶悪事件に「共感」とは?

昨日、ブログに「事件から母親の存在を考える」のタイトルで綴った。秋葉原事件を採り上げたが、それに関連する週刊誌の記事をもう一つ紹介する。

それは週刊朝日7/4の「 酒鬼薔薇からアキバ事件まで 私たちは特別な世代だった 1982年生まれの衝撃 」である。既に読まれた方も多いと多いと思う。

記事の冒頭を紹介する。

”魔の17歳”と呼ばれた世代があった。8年前、「西鉄バスジャック事件」など立て続けに起きた少年事件の犯人と同じ1982(昭和57)年生まれのことである。そして、日本中に衝撃を与えた「酒鬼薔薇事件」も、今回の「アキバ」事件も犯人は皆、同い年だ。「他の世代とは違う」。そう語る同世代人たちの心の底に何があるのか----。

そして、世相の解説コメントを織り交ぜながら、この世代の何人かの男女の声を載せている。週刊朝日がこれらの人物に本当に取材したのか、いつ何処で取材したのかの疑問が残るものの、以下に同世代の声のいくつかを紹介する。(記事の中の世相の解説コメントは省略)

●「秋葉原の事件の犯人が私と同い年と聞いた時、なんだかわかる気がしたんです。82年生まれは”特別”な世代ですから」(関西出身の女性:26)

●私たちは”お試し”世代なんです。苦労はどの世代も一緒と言われるけど、私たちは小さい頃から事あるごとに[格差]に直面してきました。自分の力に振り回されることが多くて、どこかイライラしてた。受験も就職も[運河悪かったわね] [その世代、可哀想にね]で終わって何のフォローもない。色々試されてきたのに、(試した側は)何の責任も取っていない。信用しろと言われてもできないですよ」(上記と同じ関西出身の女性:26)

●「授業に追いつけなくて、塾や家庭教師があたりまえになった。でも、おカネがなくてそうできない家の子たちは落ちこぼれる一方だった。私たちは”実験台”として、試行錯誤の教育を受けてきたんです」(福岡県出身の男性)

●「[ローンはどうする] [あの子の家は大変みたい] なんて大人の事情を聞かされて、純粋な子供ではいられなかった」(福島県出身の女性)

●「ゲームの[スーパーマリオワールド]とか流行ったけれど、買える家と買えない家で大きく差が出て、友人関係にも影響が出ましたね。人のゲームを取り上げる子もいれば、仲間はずれにされる子もいた」(神奈川県出身の男性)

このように、同世代の男女の声が紹介されている。最後にこの記事は次のように結んでいる。

ついていない----加藤容疑者の歪んだ心を占めていたこの感情に「共感」する同世代は、決して少なくないようである。

さて、週刊朝日は一体何を言いたいのか。読者に何を伝えたいのか。世相の分析としては良いだろう。しかし、この記事の中には加藤容疑者の犯行の本質に迫り、その原因を追究しようとする姿勢など全く見当たらない。取材した同世代の男女の声の中にも、勿論それは無い。寧ろ、全て社会が悪いのだ、と言わんばかりの上で「共感」を呼ぼうとしているように私は受け止める。

「共感」と言う情緒的な言葉でこの凶悪な事件を記事にする事に、私はメディアに携わる人間の良識を疑いたくなる。

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事件から母親の存在を考える

犯罪社会学。犯罪社会学とは、社会学的な分析方法を用いて犯罪の原因を解明しようとする学問である。主に近代以降のアメリカ合衆国に於いて、行動科学の発展と連動して進化した学問分野であり、遺伝よりも環境に重点を置き犯罪原因の特定を試みる点に特徴がある。

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前回、「何が彼女を狂わせたのか?」と「何が教諭をそうさせたのか?」のタイトルでブログを綴った。前者は大阪駅通り魔事件、後者は中学校教諭の強姦事件である。二つの事件の容疑者の共通点は、年代が30歳代で、奇しくも同い歳の38歳である。二人の人物像に迫リ犯罪の原因を知りたい、更には秋葉原事件を詳しく知りたい、と思い始めた矢先、手にしたのが2冊の週刊現代である。これらの2冊は秋葉原事件を特集している。

週間現代6/28は、「秋葉原通り魔の弟が独占手記・ゆがんだ愛情」、同7/5は「アキバ通り魔の弟独占手記・衝撃の第2弾 」のタイトルである。

弟の告白が事実だとした上で両方の特集を読むと、容疑者の生い立ちや人物像が浮き彫りにされて来るが、その背景としての環境、特に家庭内環境に於ける容疑者の母親の母親としてのあり方に疑問を抱かざるを得ないのである。

この母親は、他人から良く見られることを徹底的に意識するような教育、例えば、先生受けのする作文指導や熟語を使った意図への質問など、に熱心だったようである。良かれと思ったのか、誤った方針の教育を施し、誤った愛情を注いでしまったのではないだろうか。母親のこのような行動が容疑者の屈折した心を育み、犯罪の引き金になったと十分に考えられるのである。とすれば、母親が長い時間をかけて子供が犯罪者なる素地を作り上げてしまった、と言っても過言ではあるまい。

家庭内に於ける母親の存在、母親のあり方は重要である。素人ながら、犯罪社会学に於いてもこれは考察されているものと思われる。

母のぬくもりは慈しみの愛である。大地のようなお母さんのぬくもりは、子供のあるがままを抱き、受け止め、育む。抱きしめられると、自分の心の中の核、そして身体の核のようなものが出来る。しっかり触れられていないとないと、「受け止められている」と言う経験が持てなくなる。(講演会:家庭を良くする より)

知識も学歴も要らない。母親に必要なのは、子供にどの様に接するかの本当の意味での教養、リベラル・アーツである、と私は思っている。

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何が教諭をそうさせたのか?

小学校5年生だった女児(当時11)に性的暴行を加えたとして、茨城県警は23日、同県行方市立北浦中学校教諭、小島秀和容疑者(38)=同県鉾田市札=を強姦と児童福祉法違反の疑いで逮捕した。「間違いありません」と容疑を認めているという。

以上は、6月24日の朝日新聞朝刊より抜粋したものである。新聞がこの様に報じているのだから、恐らく間違いはないだろう。

前のブログでも記したのだが、このような短絡的で心の痛む事件が何故起きるのだろうか。何かが病んでいる、狂っているとしか言いようがない。

何がこの教諭を病ませたのか、狂わせたのか?

この事件の容疑者は、大阪駅通り魔事件の容疑者、大山和歌と同年代の30歳代、奇しくも同い年の38歳である。

今の30歳代は病んでいるのか、狂っているのか? どの様な教育と躾を家庭と学校で受けてきたのか? 何を学んできたのか?

教諭。教(キョウ)とは、おしえることである。 諭(ユ)とは、さとすこと、いいきかせることである。教え諭すのが教諭である。

教諭、教師、先生。色々な呼び方で構わないと思うが、教師と教育者の違いは何かの議論はさておいて、そのような立場にある小島秀和容疑者を病ませ、狂わせたのは何だろうか?

社会が病んでいる、狂っていると言ってしまえばそれまでである。多面的な観点から、問題点を浮き彫りにしなければなるまい。

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